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ガーゼ取り忘れ事故

1 医療事故の典型例の1つに、ガーゼ取り忘れ事故があります。例えば虫垂炎の手術(昔は盲腸と呼ばれていた箇所の手術)を行い、時が流れ、20年も30年も経ってから、急にお腹が痛くなることがあります。そしてお腹を開けてみるとガーゼと思われる物体が発見されることがあります。

2 ガーゼ取り忘れ事故の第一の課題は、昔手術をした病院に原因があると立証できるか、という点です。体にガーゼが残っていることは、ガーゼを取り出した病院が病理検査をすれば明らかになります。問題は、ガーゼを残した病院を特定できるか、という点です。

3 医師法24条は、第1項で「医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。」と定め、第2項でその診療録は「5年間これを保存しなければならない」と定めます。診療録(カルテ)以外の日誌やX線写真などは、医療法21条1項14号により、2年間の保存義務があるものと定められています。

 ただし、保存期間5年というルールは、あくまで法律上の規程であり、多くの病院では実際はそれよりも長い間保存します。将来的なトラブルに備え、場所がある限りは保管をしている病院もあります。また、電子カルテを導入している病院も増えております。電子カルテの場合は紙のカルテのように物理的な保管箇所が必要となるわけでもなく、保管されやすくなります。昔すぎる、と諦める必要はありません。病院の診療録があれば、そこで何が行われたのかが明らかになりやすく、開示を請求すべきでしょう。

 ガーゼが取り残された場所と、昔手術をした箇所を照らし合わせれば、合理的にみて、昔手術をした際にガーゼが取り残されたと考えてよい場合も多いだろうと思います。


4 そのほかの証拠収集方法として、公的医療保険に弁護士会照会をかけて、過去の病院の通院歴等を明確にしておくことも考えられます。会社員とその家族なら健康保険に、それ以外は国民健康保険に加入しています。なお、75歳以上の人はそれらから外れ後期高齢者医療制度に加入しています。健康保険は、いわゆる協会けんぽと、組合健保に分かれます。これらの公的医療保険の機関に弁護士会照会を行い、入通院歴を分かる範囲で確定させることができます。


5 もちろん、手元や実家に残された病院の領収書、診察券、手術同意書等の控えなども、1つ1つが証拠となります。手元の証拠が乏しい場合、子どもの頃の写真を自宅から取り出し水着姿の写真で手術痕がいつからあるのかを立証するなど、地道な努力も必要です。親兄弟、友人の陳述書なども、無駄ではありません。


6 相手方となる昔手術をした病院に証拠保全を行うことも考えられます。証拠保全とは、訴訟提起を待っていてはその証拠を使えなくなる(つまり、改ざんのおそれがある)ような場合に、訴訟提起を待たずに裁判所が証拠調べを行う手続です。医療事故訴訟では、患者側は治療経過に関する客観的な資料を持ち合わせておりません。病院側の過失を問えるか否かを判断するためにも、証拠保全によりカルテ、医療記録の入手・検討を行う必要があります。

 証拠保全は相手方に告知することなく、裁判所からの書類が届いた当日に、裁判官、裁判所書記官、弁護士、弁護士が連れてくるカメラマンなどが来院し、診療記録の開示を求めます。
 証拠保全手続は弁護士にとってもそれなりに手間暇のかかる手続です。大きな病院なら慣れているので、淡々と法務担当者が窓口となり事務的に進めてくれます。しかし病院によっては慣れておらず、その場での交渉、やり取りも必要となります。同行する裁判官は若手のことも多く、大変そうです(その分、裁判所書記官はベテランのことが多い印象です)。
通常、示談交渉や訴訟提起とは別で、証拠保全のためにも弁護士費用がかかります。行う類型や病院の場所、裁判所の場所などにもよりますが、最も安くても30万円と消費税程度は見ておいた方がよいでしょう。
ガーゼの取り忘れ事故の場合、何も後遺障害が残らないような事案なら、得られる賠償金がそこまで高額にはなりません。病院の責任を認めさせ、賠償金を獲得できたとしても、その大半が弁護士費用で消えてしまうことにもなりかねません。
 確かに「カルテは廃棄したので、ガーゼの取り忘れがあったかどうかも、もう分かりません」と言われると、立証の難易度はあがります。証拠保全手続を行う必要性は否定できません。しかし、手紙を一通普通郵便で送れば、病院側が責任を認め謝罪し、あとは金額の交渉になることもあります。この場合は、証拠保全手続を取る必要はなかった、との結論になります。
 医療事故紛争のなかには、病院の過失自体は明らかなことも多くあり、ガーゼの取り忘れもその典型です。近時は、病院側も自らの過失を早期に認めることが増えている印象はあります。このあたりの判断は難しく、人間の行うことですので、絶対はありません。

 証拠保全手続を取るかどうかは慎重に判断し、そのメリットとデメリット、最終的に得られるであろう賠償金と要する弁護士費用のバランスを考え、選択した方がよいだろうと思います。

7 こうやって、どの手術でガーゼが残されたのか明らかになれば、当該病院に対し損害賠償請求を行うことになります。

8 ガーゼが取り残されているのならば、債務不履行があったこと、あるいは不法行為上の義務に違反したことについては、特別な主張、立証の議論は不要だろうと思われます。しかしいくつか法的な争点は残されます。


9 まずは、時効の問題があります。
 時効制度は法改正があり、法改正後は、債務不履行に基づく損害賠償請求については、「権利を行使することができることを知った時から5年間」か、「権利を行使することができる時から10年間」のどちらか短い方となります。ただし、生命・身体に損害が発生している場合は、「権利を行使することができる時から20年間」となります。よって、ガーゼの取り忘れの場合は、最初の手術から20年以内に発見された場合は、すぐに弁護士に相談をすれば時効にならずに請求できます。
 不法行為で構成した場合は、損害及び加害者を知ってから3年、あるいは不法行為のときから20年で時効になるものとされます。しかし不法行為の場合も生命・身体に損害が発生している場合、特例があります。生命・身体に損害が発生している場合は、債務不履行と同様に、損害及び加害者を知ってから5年、あるいは不法行為のときから20年となります。
このような消滅時効の制度については、法律の改正があり、旧法と新法の適用関係も整理が必要です。「法律が施行される日より前に生じた債権については、現行の民法の適用となる」とされております。
よって、だいぶ前のガーゼ取り忘れ事故の場合、債権そのものは取り忘れたときには発生しているでしょうから、改正前の民法が適用されることになるだろうと思われます。
では、30年前の手術でガーゼ取り忘れ事故が起きたような場合、時効で請求できないのでしょうか。数字だけをみると、条文上、旧法・新法ともに請求できないようにも見えます。消滅時効の起算点の問題です。
これについては、東京地裁平成24年(2012年)5月9日判決(判例時報2158号80頁)が参考になります。約25年後に発覚した残置事故について、債務不履行の消滅時効の適用を否定し、請求を認容しました。
不法行為の場合は除斥期間の問題がありますが、医療事故の場合は債務不履行構成が可能となりますので、「権利を行使することができることを知った時」を、ガーゼ取り忘れを知ったときと考えれば、時効の問題はクリアできます。
ただし「権利を行使することができることを知った時」についてはやはり解釈の問題がどうしても残りますし、病院側の初回の回答では時効である以上払う義務がない、などと記載されることもあります。
  時効が争点となることはご理解頂いた方がよいだろうと思います。


10 こうやって立証と法律的な問題をクリアしたなら、最後に、「賠償金はいくらになるのか」という話となります。
 ガーゼを取り出した手術代や病院への交通費、付添看護費、休業した際の休業損害、後遺障害が残った際は逸失利益や後遺障害慰謝料が発生する点は、交通事故の場合と同様に考えればよいだろうと思います。

 問題は慰謝料です。ガーゼ取り忘れについては相場が形成されているというほどの裁判例があるわけではなく、個別判断とならざるを得ません。

 「実害はないけど、お腹に長い間残っていたかと思うと不快だった」という点をどのように評価するかですが、実害はなくとも体に残置されていたことをもって一定の慰謝料を認めた裁判例もあります。また、「若い頃からお腹を壊しがちだった。たぶんこれが原因だと思う。」というような、法律的には因果関係の立証までは難しいような事情をどこまで考慮するかの問題もありますが、この点は明示的には考慮しにくい事情だろうと思われます。

 患者側は高額な慰謝料が認定された裁判例の事案に近いと主張し、病院側は低額な慰謝料が認定された裁判例の事案に近いと主張し、落としどころを模索していくことにならざるを得ません。

 不幸な事故に巻き込まれた方、諦めずに、一度お近くの弁護士にご相談ください。