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真実ではないと思える主張

弁護士 森田祥玄

 弁護士の仕事をしていると、定期的に、争点は「嘘をついているか否か」という類型の裁判に出会います。
 弁護士も裁判官も、嘘をついているかどうかを判断する特別な技能を持っているわけではありません。
 嘘のように思える主張であっても真実であることも多々あり、その逆もあり、我々を日々悩ませます。
 私が考える、裁判官に嘘だと思われやすい主張、というものを、交通事故と不貞慰謝料、遺産分割の場面を例に簡単にまとめてみます。
 話し方のクセや性格もあり、一概にはいえませんので、あくまで一般論です。

【客観的な証拠と矛盾している】


 客観的な証拠との矛盾がある場合、裁判所はその矛盾部分以外の供述全体についても、疑わしいと考える傾向にあります。

  当たり前のように思われますが、人間の記憶は徐々に薄れていきますし、違う記憶がすり込まれることもあります。

  例えば交通事故の裁判で事故態様を争っているときに、「事故のあと警察とは5分ほどしか話していない」と言っていたのに、実況見分調書には60分ほどかけて警察に事故態様を説明したことになっていることがあります。

  警察が意図的に長く書いていることもあるでしょうが、記憶のほうが間違っていることもあるだろうと思います。

  事故直後はパニックになっていて、夜であったり、疲れもあり、正確に記憶できていないことも多々あります。

  裁判で尋問を行う頃には事故から1年以上経過しており、はっきりとは憶えていないことも多いかと思います。
 しかし客観的な記録と明らかに違うことを述べている場合、ほかに決定的な証拠がなければ、このようなことでも不利な認定をされる理由の1つとなります。
 尋問では記憶のとおりに述べるしかないのですが、早い段階で何が起きたのかを時系列ごとに早めるにまとめる必要があります。
 また、事故前後30分の出来事は分単位で表にしておいたほうがよいでしょう。

【動かしがたい事実と整合しない】

  利害関係のない第三者の目撃や、多数人の意見が合致する事実と異なる主張は、証言全体の信用性が下がります。
 例えば多重衝突事故で、無関係の当事者が雨だったと言っているのに、本人が晴れていたと言っているような場面です。
 交通事故の事故態様そのものとは関係がなくても、供述全体の信用性はやや下がります。

【関連の薄いところで嘘をつく】

 例えば交通事故で、「過去にも交通事故に遭ったことがありますか」と相手方弁護士に聞かれ、本当はあるのにないと答えてしまう人がいます。
 あると答えると何か不利になるのではないか、との気持ちが働きますし、その気持ちは分からなくはないです。
 しかし過去の交通事故と今回の交通事故の関係が薄くても、客観的な事実と異なることを言ってしまうと、裁判官は供述全体の信用性を疑います。

【発言に具体性、一貫性、合理性がない】

 交通事故の裁判で事故態様を争っているときを例にしますと、事故態様を尋ねたら、「もう、わーとなって、ドンとあたって、気がつけば警察が来ていました」など、具体的に回答ができないことがあります。
 実際には一瞬のことなので覚えていないこともあるだろうと思うのですが、有利・不利でいいますと、やはり交通事故などの特殊な記憶に残りやすい事柄について、あいまいな回答をしていると、不利な認定がなされます。
 このような場合、どう対応するか弁護士を悩ませるのですが、覚えていないのに記憶を作り上げるわけにもいきませんし、作り上げた記憶はどこかで矛盾が露見します。
 覚えていないなら、当初から一貫して覚えていないと主張し続けるのが結果的にはまだ無難な判決を導くように思います。

【不利な結論となった場合のことを過剰に気にする】

 例えばドライブレコーダーのない、互いの信号の色が争いとなっている交通事故で、「もしも私の信号が赤と認定されたら、私の免許の点数や刑事罰はどうなってしまいますか」との質問を受けたとします。

 不利な結論となった場合のことも当然気になりますので、この質問をすること自体は当たり前のことです。職業運転手ならば生活がかかっています。

 しかし、職業運転手でもないのに、交渉をするたびに毎回同じように、免許の点数や刑事罰を気にされ、同じ説明が必要な案件の場合、このかたはご自分の主張に自信がないのだろうか、との思いを抱くことになります。

【結論をいわず証拠の提出を求める】

 例えば弁護士から内容証明郵便で不貞慰謝料を払うよう求めると、「証拠を出してください。」と主張する人がいます。

  不貞はあったかなかったかの2択であって、証拠があるかないかで結論が変わるものではありません。本当にしていないのなら証拠はありませんので、証拠を出してくださいと求めること自体が、証拠が存する可能性を認めているようなものです。
 現実には例えばとても親しいけど不貞はしてないという場面もあり、まずは証拠を求めること自体は間違ってはいないのですが、開口一番証拠はあるのか尋ねるのは、やはり疑わしいという印象を持たれてしまいます。

【結論をいわず一般論だけを答える】

 弁護士から手紙を送ると、「ぼくのようなおじさんを、あのような若い子が相手するわけがない」というな反論がなされることがあります。この反論自体は皆さんがするものなのですが、一般論だけが続くと徐々に疑わしくなります。
 「していない。」とまず言い切ってから一般論を話すのならまだ分かるのですが、「ぼくのようなおじさんをあのような若い子が相手するわけがない」「ぼくのような子どももいて立場もある人間がそのような行為に及ぶわけがない」と主張をし、「それで認めるのですか、認めないのですか」と聞かれてはじめて「認めない」と回答をする場合は、なぜ最初に結論を言えないのだろうかと疑わしく思われてしまいます。

【本論から外れ、揚げ足を取ろうとする、些細なことにこだわる】

 弁護士から手紙を送ると、「なぜ弁護士なのに内容証明郵便ではなく普通の郵便なのだ」「名古屋の弁護士なのになぜ東京から内容証明郵便が届くのだ」「おれは名古屋の弁護士会の会長を知っている」など、本論と関係のないどうでもよいところにこだわる人がいます。また、まったく本論と関係のない些細な認識の誤りや誤字を延々と指摘する人がいます。
 関係のないところにこだわる場合、本論に入れない理由があるのではないかと疑わしく思われてしまいます。

【過剰に情に訴える】

 例えば、遺産分割の場面で、「生前に被相続人の預貯金から、ATMを使って多額のお金が引き出されていた」という紛争があったとします。このときに、「あなたは亡お母様の許可を得て引き出していたのですか」との質問に対し、「私はこれだけ母の世話を頑張っていた」との反論をされるかたがいます。このような、情に訴えることもあってよいとは思うのですが、具体的な質問に答えずに、情にだけ訴えるかたは、情に訴えるしか方法がないということではないか、との思いを抱かせます。

【証拠や相手の主張の有無を確認してから回答する】

 同じく、遺産分割に関し、生前の引き出しについて議論している場面で、「あなたは亡お母様の許可を得て引き出していたのですか」との質問に対し、「病院のカルテを取り寄せてから回答します」と答えるかたがいます。

 代理人弁護士の立場なら、間違ったことを言ってはいけないとの考えからこのように回答をすることもあるだろうと思うのですが、まさに当事者で、真実を知っているはずの人から、証拠を整理してから回答しますと言われますと、「まずはあなたの認識を教えてほしい」との思いを当然抱きますし、即答できない事情があるのだろうかとの疑問を持ちます。

 同じ理由で、回答に不必要に時間がかかる場合も、徐々に疑わしくなります。事実があったかなかったかを尋ねている場面で、「親族に相談してから回答します」「法要が終わってから回答します」などと言い、1か月や2か月回答を先延ばしにされますと、やはり即答できない事情があるのだろうか、との疑問を持ちます。

【まとめ】

 本当のことを言っているのか否かを判断するのかは実際には大変に難しいものです。
 実際にはどちらかが嘘をついている事案でも、どちらも本当のことを言っているようにみえて、決定的な決め手がない、という案件も多数あります。
 このような場合、不法行為に基づく損害賠償などでは、請求する側が立証する責任を負う(立証できなければ(例えば浮気をしているのかしていないのか、結局よく分からなければ)、請求する側が負ける)という建前になっています。
 しかし実際の判決では、裁判官が、こちらの主張のほうがより一貫している、虚偽の主張をする理由がない、などの、抽象的な理由をつけて、どちらかの言い分が正しいと決めることが多いという実態もあります。

 司法権とは、事件を終局的に解決する国家作用と言われています。意見の分かれる、どちらとも取れる事柄に対しても、むりやり何らかの結論を出して、紛争を終わらせるのが裁判(国家)の役割なのです。

 本当のことを言っているのに信じて貰えないことはとてもつらいことで、実際に信じて貰えないまま判決になることもあるのですが、民事の裁判とはそういうものだ、という割り切りも必要になることがあります。
 事実関係を争っている、どちらかが嘘をついている、という紛争も早期の弁護士の関与が必要となる類型です。
 お困りの際は弁護士にご相談ください。